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仕事で奈良へ

奈良の企業様に大きな案件をいただいたので、打ち合わせで奈良へ。(GOODPR!は案件によっては県外でも、直接打ち合わせに伺います!)

打ち合わせも終わり、今回自身の苗字の由来でもある、「山辺の道」へ先祖の足跡を尋ねるため、日本最古の神社と言われる「大神神社」の参拝と、せっかくなので東大寺を尋ねてみました。

東大寺盧舎那仏像はまさに圧巻!

いやはや、今回初めて奈良を訪れたのですが、やはり東大寺の大仏は圧巻の一言。当時の「唐」の歴史を考え、比較しても、これほどの大仏を当時の技術で建造できたのは、すごいことだなーと思いました。まさに他国へ日本の国力を示す大きな存在であった事でしょう。

大仏建造の歴史を振り返る

ここで、当時の約1300年前の大仏建造の歴史的背景を振り返りたいと思います。

奈良時代、今と同じくパンデミックが巻き起こっていた。

東大寺が建立される700年代、今のコロナと同じく猛威を奮っていたのが、「天然痘」でした。当時の人口が約600万人。その内100万人が疫病により、死亡したと言われています。また、737年には、当時の政権を握っていた、藤原4子(藤原不比等の息子達)も、天然痘でバタバタと死去してしまいます。これは今で言う菅総理・安倍・麻生太郎・二階堂がバタバタと死ぬ感じでしょうか。(不謹慎ですが)

その他にも、地震や飢饉等国難の時代であった奈良時代

そんな国難を乗り越えるため、当時の聖武天皇は、東大寺大仏建立を決意。

ここからがすごい日本人

いや、何がすごいって大仏作ると決めたは良いのですが、聖武天皇いわく、「大仏作る金はあるけど、民にもっと仏を信仰する意識を持って欲しいから、この大仏は国民みんなの寄付とボランティアで作ってくれ!」的なことをおっしゃるわけですね。何か小泉進次郎のレジ袋論にも近しい、外国なら暴動が起こってもおかしくないおふれなのですが‥日本人は怒りません。(まあ実は、紫香楽宮で実際暴動起きてるんですがそこはさておき奈良では起こらない)

結果、260万人が建造に参加。寄付は42万人

先ほど言ったように、当時の人口が約600万人ですから、上記の数字がいかにすごいかお分かりになるでしょう。どんだけやねん日本人。全国から、大仏の建造こそがみんなを救うとの意思のもと、結果的に結束してこの偉業を成したわけです。

当時と今、何が違うのか?

1300年前の日本人と現代の日本人、歴史的な史実と比較して、最も異なるのは、「共同体」意識でしょう。当時、飢饉で苦しくても、日本人達は結束して、まあ、方法は迷信的ではありますが、助け合いの精神で世界的にみても奇跡的な巨大建造物をわずか9年で建立しました。

現在の日本人は分断している。

今コロナ化で、垣間見える日本人同士の分断。例えば、飲食店への協力金、「なぜ飲食店だけがお金をもらえるんだ!」とか定額給付金にしても「貧乏人を助ける必要はない!政府からお金をもらうなんて乞食と一緒!」なんて意見が多かったりする。ちゃうちゃう、怒るなら政府に怒りましょう。明日は我が身。

災害国家「日本」では、
常に明日は我が身です。

日本は、諸外国に比べ常に自然的災害の多い国土です。今平穏でも、明日大地震で、台風で、豪雨で、噴火で、誰かの助けを求める時が来る可能性があります。日本人は本来、そんな災害国家だからこそ、DNAレベルで刷り込まれた助け合いの精神が備わっています。だからこそ、和を以て貴しとなすだし、大仏が造れたし、世界的にみても稀少な国民性を持つ民族なのです。

国難だからこそ結束しよう。

そう!だからこそ現代(いま)私たちも奈良時代の人々を見習い、ちゃんと共同体の意識を持って助け合いましょう。

ちなみに‥

奈良時代のパンデミック。実は、

税免除や現金給付(米)がありました。

当時は金本位制で政府の財政も有限でしたので、この時代に弱きを助ける政府は立派です。

現在、貨幣を信用創造できる政府がこれをほとんど行っていないのは、如何かと思います。

だからこそ、今私たちが怒るべきは政府だと思います。諸外国に比べ日本の政府は国民を助けようとしているか?少なくとも失政は多くありましたが、当時の聖武天皇の詔には、いつも民草を想う心がありましたが、現政府はどうでしょうか?

長くなりました。ありがとうございます。

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